沖縄の紅型について

紅型宗家の一つである城間家の歴史を振り返りたい。
城間家の栄喜氏という十四代の生きた激動の歴史を思う。
太平洋戦争で、本土の捨石と化した沖縄は焦土となり、何もかもが灰燼に帰した。
その中で栄喜氏はかっての琉球王朝からの文化を残さなければならないと・・・。
栄喜氏は戦争で妻子を失い、次男を病死させ、生活は困窮を極めながらも沖縄で生まれた紅型の復興に全力を尽くした。
トタン屋根のみすぼらしい家屋でかっての琉球王朝の時代の匂いを彼は戦後に復興させた。
また、沖縄という風土の歴史をも後世に受け継がせる為に。
長男である栄順氏が現在この城間家の第十五代として城間家代々のDNAを受け継いでいる
栄順氏の歴史もまた平坦ではなく、中学校を出たら働きに出なければならなかったなど。
手伝いをしながら、父である栄喜氏の様々な葛藤を受け止めた十代の時代。

彼は全ては「全てはオヤジの理由がある」と言葉少なに語り、黙して語らず。
不満、愚痴を言わずに貫き通してきたという姿勢。
欲、名利をよしとしない泰然たる理由が彼等達にはあり、根底には揺るがない信念みたいなものがあるのだろう。
水のように、スーッと入ってゆき、自然と立消えていくことが出来る。
これは、忍耐我慢した時間が為せる人間造形でもあろう。

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