きものの言語性(至凡氏きものばなし)

きものは、ことに女のきものにあっては、感情を表現する媒体にある。

かっての女のきものすがたが美しかったのは、きものによって言語を省略したからである。
一昔前の女は無口だったから情緒があり、美しかった。
女の感情を直接言葉にしないで、きものの仕種で伝えるといった思いつきは日本人ならではの美意識であろう。
衣服の美学については、装飾性にだけ目を向けがちだが、言語性を排除するわけにはいかないのである。

むしろ、装飾性は言語性に包括されるものである。

動作によって感情を伝達するとなれば、それに都合のいい衣服が創意される。
きものの形状は感情を表現するに好都合である。
近頃のきものすがたに後追いしたくなるほどの余情を感じないのは、きものが言葉ではなくなったからで、女性の日常着が洋服になって饒舌になりすぎたせいもあろう。

洋服という衣服は、否応無しに感情がむき出しになってしまう。しかしきものは逆に感情を抑える事が出来る。
きものの微妙な仕種が、そのときどきの感情をを伝えて、話し言葉を必要としないからである。

これが洋服ときものの決定的な違いで、民族性とか、生活環境の違いに起因していくのである。

 

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