沖縄の紅型について 紅型宗家の一つである城間家の歴史を振り返りたい。 城間家の栄喜氏という十四代の生きた激動の歴史を思う。 太平洋戦争で、本土の捨石と化した沖縄は焦土となり、何もかもが灰燼に帰した。 その中で栄喜氏はかっての琉球王朝からの文…Read More » Posted on 2015年7月9日2015年8月20日 by 斎作呉服店 Categories: きものコラム
大辛口! きもの談 きもののよさは、一直線に布を裁っている事である。 直線というのは、曲線と違い シンプルで美しい。 最近、ライフスタイルの変化や、簡素化などにより 日本古来の民族衣装としてのきものの出番が少なくなった。美を纏うには最高峰を…Read More » Posted on 2015年7月9日2015年8月20日 by 斎作呉服店 Categories: きものコラム
情念の確かさを求めた帯(至凡氏きものばなし) 帯は恋する者の情念の確かさと激しさであるが、それをより確かに、より激しいものにして丈の長さに求めてきたのである。 長ければ長いほど好ましいのである。もっとも帯が今日の一丈二・三尺の長さに伸びた記録としては、享保の頃であり…Read More » Posted on 2015年7月8日2015年9月13日 by 斎作呉服店 Categories: きものコラム
能面の表情が懐かしい(至凡氏きものばなし) 日本人は感情に乏しいといわれる。古来より、感情を露骨にしないことを美徳とした。 たしかに、感情が露骨になれば、人間は醜い。醜いだけではなく、感情のいかんによって闘争へと発展しかねない。 感情は言葉では通じない。感情を伝え…Read More » Posted on 2015年7月8日2015年8月20日 by 斎作呉服店 Categories: きものコラム
色と文様 きものの色について(至凡氏きものばなし) きものの色について考察するとき、まず考えねばならないことは、日本人固有の自然観である。 人間を自然の一部とし、そこに溶け込んで生活してきた日本人である。 ときに自然を偉大なものとしてとらえ、ときにその自然と人間を本来一体…Read More » Posted on 2015年7月8日2015年8月20日 by 斎作呉服店 Categories: きものコラム
夏のきものの気配り(至凡氏きものばなし) 夏のきものは、夏大島であろうと、小千谷縮みであろうと、また紗であろうと、着ている当人に決して涼しいものではない。 当人の涼しさではなく、傍目の涼しさを着たのである。 傍目に涼感を供することに、夏のきもののよさがある。Read More » Posted on 2015年6月23日2015年8月20日 by 斎作呉服店 Categories: きものコラム
不確実性の美学(至凡氏きものばなし) 不確実性は、日本人が長い間費やして育ててきた美学である。不確かは日本的情緒の土壌でもある。 「つまらないものでございますが」など、その不確かなところに、いいしれぬ心がこもり、人間の美しさを観る思いがする。 近代科学は、こ…Read More » Posted on 2015年6月23日2015年9月13日 by 斎作呉服店 Categories: きものコラム
きものの言語性(至凡氏きものばなし) きものは、ことに女のきものにあっては、感情を表現する媒体にある。 かっての女のきものすがたが美しかったのは、きものによって言語を省略したからである。 一昔前の女は無口だったから情緒があり、美しかった。 女の感情を直接言葉…Read More » Posted on 2015年6月23日2015年8月20日 by 斎作呉服店 Categories: きものコラム
きもののこと(至凡氏きものばなし) きもののほんとうの素晴らしさは余情にある。 余情は言外の趣をいう。きものという衣装は、多くの言葉を秘める。 だからきもの姿は美しいのである。 このような衣服文化は他に類をみない。日本人の生活の知恵といえるだろう。 きもの…Read More » Posted on 2015年6月23日2015年8月20日 by 斎作呉服店 Categories: きものコラム
結城紬のこと (至凡氏きものばなし) 茜色して、暮れなずむ農家の縁先で、はじめて結城紬に出会ったとき、思わず胸が熱くなり涙がこぼれました。 結城紬の世界―。 それは、農民にしか創造出来ない情感の世界。 それは、芸術家でもない、職人でもない。 どんなにたくみに…Read More » Posted on 2015年6月4日2015年9月13日 by 斎作呉服店 Categories: きものコラム